祖母の話 戦時中の話
祖母の話 戦時中の話
祖母の話 戦時中の話
私大倉祖母 佐藤好子の話を何度も思い出します。
それは戦時中、私の祖父の兄、佐藤勉おじさんの話。
祖母が結婚して、新潟県の小千谷市に来た時はすでに小学校の教師。
その時は戦時中で、私では想像できない環境だったと思いますが、その時の勉さんの話をしてくれた事をたまに思い出します。
もちろん会ったことはないのですが、家にある遺影の顔をいつも見て育ってきた。
昭和20年勉叔父さんは特攻隊となる。
実家を出て訓練に行く前の日の話。
祖母の勤める学校の校庭で私の祖母の好子と話をしたらしい。
もう次の日のは特攻の訓練に出るその前の日。
どれくらいの時間を話したのか、最後に勉叔父さんは鉄棒に登り、グライダーで高く飛んだらしい。
その時に言った一言が祖母も今でも忘れられないと、私に話してくれた。
鉄棒から高く飛んだ勉叔父さんは、
「よし!コレで俺の青春は終わりだ」
と言って戻って行ったと言います。
高く飛んだ後に未練が残るこの故郷に、その言葉で自分を説得させたのだと思う。
勉叔父さんはその後特攻隊となり、敵艦隊に特攻して戦死する事になるのですが、その時は昭和20年の5月23日25歳。
戦争とはいえ、自分の青春を戦争に注ぎ込んでのです。
祖母の話を私も聞いた時から忘れられないのですが、子供の頃にたまに夢にも出てきた事があります。
今まさに世界のどこかで起こる戦争ですが、いつ大人達は争う事をやめて、未来のある若者が死なない世の中になるのかと平和ボケしながらも思う日々です。
いずれにせよ、
そんな勇敢な人の血も混ざる私ですから、時代は違うとはいえ、今こうして自分の立場で今の仕事を精一杯やり遂げて、先祖に喜んでもらえる自分にしたいと思います。
私はまだ言葉にした事も思った事もない言葉。
「俺の青春は終わりだ」と。
言わなくて良い時代に生まれた私達ですが、生きていて良かったと思える毎日にしたいと思います。
祖母は97歳になり、元気ではいますが、また色んな話を聞いて次世代に伝えていける様にしたいと思います。